読書生活 

本もときどき読みます

体言止めの効果 長所と短所を具体例をあげて説明します

 体言止めは効果的な文章表現技術の一つです。体言止めを効果的に使うことで文章にリズム感が生まれますが、多用すると鼻につく文章となります。このページでは、体言止めの効果と例についてまとめてみました。引用は新聞記事や小説などから行っています。また、元朝日新聞記者の本多勝一さんが書いた『日本語の作文技術』を参考にしています。

体言止めとは何か 

 広辞苑(第四版ですが‥)によると

和歌・俳句などで一句の末尾を体言で終わらせること。文章の末尾を体言で結び切りにすること。

とあります。体言とは「名詞」のことなので、本来なら名詞で終わらせている文章を体言止めと言いますが、本多さんは中止形の文章も体言止めと同様にとらえています。ここでは、本多さんにならって中止形も体言止めにふくめます。

体言止めの長所とその例 

文章を短くまとめられる 

 体言止めは新聞記事でよく使われます。せまい紙面になるべくたくさんの記事を入れることができるからです。最近の朝日新聞(2017年11月25日)から引用します。

2敗を守って、優勝争いに踏みとどまった八角部屋コンビ。開けっぴろげな明るさが持ち味だ。隠岐の海は栃ノ心に土俵際へ追い込まれながら、右から下手投げを打って逆転した。与えたくなかった左上手を取られてしまう紙一重の内容。反省しつつ「考えすぎると良くない。勝ったので良かった、と言っておきます」と笑わせた。

 引用したのは全記事のうち最初の部分約3分の1に当たります。5つの文章のうち2つが体言止めです。何文字以内、という規制があるものでは本当によく使われています。

リズムが生まれる 

 同じような文章では単調になり、読み手が離れてしまいます。退屈な文章だな、と思ったら文末に着目してください。「です」や「ます」が連続して使われていることがほとんどです。その中に体言止めを使用することで、文章全体にリズム感を生むことができます。

 太宰治の作品は独特で、まるで詩のように韻を踏んでいる箇所が多いです。

けさの小杉先生は綺麗。私の風呂敷みたいに綺麗。美しい青色の似合う先生。胸の深紅のカーネーションも目立つ。『女生徒』

体言止めの短所とその例 

軽い印象を与える

 

 元朝日新聞記者の本多勝一さんは、体言止めをこう否定します。

 一流の文章家は体言止めを愛用することがない。(略)体言止めの文章はたいへん軽佻浮薄(けいちょうふはく)な印象を与える。軽佻浮薄でも下品でも、それが趣味だということになれば、もはやこれ以上論ずべき問題ではないだろう。ただ、読者を最後まで引っぱってゆく魅力に甚だしく欠ける結果、途中で投げ出して読まれなくなる可能性が高い。そうすると、結果的に「わかりやすい文章」と変わらなくなる。これは決して私のような偏屈者だけが言っていることではない。少なくとも文章家や文豪といわれる人々の中に、体言止めを趣味としている例を私は見たことがないのだ。『日本語の作文技術』

直接話法(カギカッコの中)の中には絶対使わない 

 この文章を見てください。

経済の見通しについて。「来年から再来年にかけて景気は回復。でもインフレは当分続くと見た方がいい」。難解な理論を平易に解説、というのが受賞理由の一つだけに答えは明快。

 本多さんが悪い例としてあげている文章です。今から40年以上前の朝日の朝刊です。この文章がだめな理由を、本多さんはこう説明しています。

 素直に考えてみよう。いったいだれが、実際の会話の中で「‥景気は回復。」というような体言止めの話し方をするだろうか。そんなに体言止めが好きなら、カギカッコをはずして間接話法にすればよろしい。いうまでもなく、直接話法は決して会話の録音テープの再現ではない。もし、実際の会話をそのまま文章で表現すれば、この例文で推察するとたとえば次のようになるだろう。

「そうですねえ。まあ、来年から再来年にかけてくらいには、まあ景気は回復する―と、ま、これはですね、もちろん推測ですけどね。ええ。」

 こんなものをそのまま直接話法で記事にしていたら新聞など作れない。しかし直接話法である以上、ありえないことを書いてはならないのだ。カギカッコの中を朗読したときに、少なくとも最低限の自然さをそなえていなくては、何のために直接話法にしたのかわからなくなる。

 ざっくり言うと、「体言止めで喋る人などいない」ということです。同感です。軽佻浮薄感が二重に漂います。直接話法では体言止めを使いません。

 本多さんがあげたこの文章は40年前の文章です。先ほどのように、直接話法の中に体言止めを使っている例を新聞から探しましたが見つけられませんでした。あきらめかけていたところ、ひょんなとこから発見しました。『週刊新潮』です。

 映画『火花』の宣伝を兼ねた桐谷健太さんのインタビュー記事です。その最後にありました。

 天才肌の先輩芸人・神谷に扮した彼は、菅田将暉演じる後輩・徳永に「誰ひとり無駄じゃない」と話す。それは、映画の中で、夢に破れ憧れの世界から退いていく者に対して捧げられる言葉だが、同時に彼自身の強い実感がこもった台詞でもあった。

「でっかい花火を夜空に咲かせられる人もいれば、ちらっと一瞬だけ火花を上げて終わる人もいる。でもすべてはその火花から始まってるんだって。だから、あの台詞は、見るかどうかわからないけど、役者をやめて大阪に帰ると言った友だちや、会ったこともない、夢をあきらめた誰かに届けようと思って言いましたよ。目指した奴ら、全員が必要やってんって」

 11月のある日、彼は京都女子大学でトークショーを行っていた。毎年、学園祭シーズンになると、彼は全国の大学を回り、持ち前の話術とサービス精神で観客を笑いに笑わせている。でもどれだけ回数を重ねても本番前は緊張してしまう。

「出る前の俺の手、冷たいですよ、キンキン。心臓はドキドキ」

ところが観客の前に出た瞬間、パチッとスイッチが切り替わる。シャイで緊張しいなのに目立ちたがり。いまだに変わっていない。

 「出る前の俺の手、冷たいですよ、キンキン。心臓はドキドキ」、直接話法の体言止めです(正確には中止形です)。桐谷健太さんなら、本当に「心臓はドキドキ」と言ってるかもしれません。その次の「シャイで緊張しいなのに目立ちたがり」も体言止めですね。

 締めの3つの文章が、この桐谷さんのセリフとよく合っています。彼の雰囲気に合わせてわざとこういう書き方をしているのだったら、相当な手練れの記者です。軽佻浮薄感がぷんぷん漂ってます。 

www.yama-mikasa.com 

www.yama-mikasa.com 

www.yama-mikasa.com