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『いのちの食べかた』森達也 肉を食べるということはどういうことか 

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屠殺(とさつ)の話

 肉の話です。と言っても、肉の味ではなく「屠殺」(とさつ)の話。 

 肉はどこからやってくるのか…。「この問題にはあまり触れない方がいい」と誰もが思っています。

 牧場でのんびり草を食べる牛の姿に、わたしは何の不快も感じません。また、パック詰めされた牛肉を料理して食べることも不快に感じません。でも、この二つの間にある過程は普段目にしませんし、想像もしません。

 その二つの間にある過程が、この本にはがっちり書いてあります。それが「屠殺」です。今は「屠殺」ではなく、「屠殺」の「屠」を「と」とひらがなにし「と殺」と書くそうです。

 ここからは、「である」調で書きます。強気で書かないと堪えられない濃く重い内容でして。わたしなりの要約です。

東京中央卸売市場食肉市場

  品川駅から徒歩5分。牛や豚を積んだトラックがひっきりなしに出入りする大きなビル、そのビルが東京で唯一肉を扱うと殺場。正式名称は「東京中央卸売市場食肉市場」(とうきょうちゅうおうおろしうりしじょうしょくにくしじょう)。扱う量は、1日あたり平均牛350頭、豚1200頭。働く人は全員東京都の公務員。

牛や豚の殺し方

  なるべく苦痛を与えないように、額にピストルの銃口を当て、「ノッキングペン」という細い針を打ち込む。撃たれると同時に牛は脳震盪を起こし、硬直し意識を失う。苦痛なし。

 生きたまま血を抜かないとまずくなる。そこで、意識を失った牛の首の下にある頸動脈をざっくりと切る。ここまで数十秒。

 ベルトコンベアで運ばれ、頭、足という順に落とされ、どんどん小さくなる。内臓は取り切り部位ごとに分けられる。 

 食用以外にも殺されている動物はたくさんいる。

サル山のサルが増えない理由

 どこにでもあるサル山。小サルも多い。しかし、そのサル山のサルは増えない。その理由は定期的に間引きしているから。間引きされたサルは、ほかの動物園に引き取ってもらうか、動物実験に回される。

 動物実験をやめたら、病気で苦しむ人間を助けるための薬や医療技術の開発はできなくなる。

生き物を殺すとは

 人間は、牛、豚、犬、サル、ウサギ、マウス、これ以外にもたくさん殺している。ダムを造ったり、海を埋め立てれば、膨大な魚や虫や小動物が死ぬ。ハエや蚊やゴキブリはたたきつぶすが、カブトムシをたたきつぶす人はそういない。これは人間の思考の停止、麻痺によるものだ。

ウサギを一羽、二羽と数えるのはなぜか

 正解は「ウサギの肉を鶏肉であるかのように扱うため」。江戸時代、肉食は禁止された。でも、鳥肉は禁止しなかった。だから、ウサギの肉を食べるときは鶏肉であるかのように装うことが普通となり、この数え方が定着した。

江戸時代に、死んだ牛や馬の肉の処理を任されていた人たち

  特定の人たちが行った。死んだ動物の肉は「穢れ(けがれ)」と考えられていたから、彼らは「穢れた人」たちとされた。住む場所も「穢れている」として差別され、集落外の人たちとのつきあいも制限された。彼らは自分たちで集団となって支え合いながら生活した。耕す土地はない。死んだ動物の処理だけでなく、犯罪人の逮捕や処刑など、人から嫌がられる仕事が回ってきた。生きるために彼らはその仕事をやった。 

 彼らは「穢多(エタ)」「非人(ヒニン)」と呼ばれるようになった。「穢多」は穢れが多い、「非人」は人に非ずと書く。この呼び方は自分たちではしなかった。彼らは自分たちのことを、東日本では「長吏(ちょうり)」西日本では「カワタ」と名乗った。

明治になって彼らはどうなったか

  肉食は解禁されたが「穢れ」意識だけは残った。そして、「カワタ」の住む地域は被差別部落として残り問題となった。「穢れ」意識の本質はいじめ問題とそう変わらない。人は人を差別したがっている。そういう誰もがもっている気持ちが、「穢れ」意識を消さなかった。「カワタ」の住む地域で生まれたら差別された。道一本を隔て、笑われ嫌われ、結婚や就職も制限された。

 この差別は根深く、差別地域の人は地区を出て生活した。新しい土地で新しく出会った人には、絶対に自分の生まれた場所や家族のことは話さなかった。そして、その差別は今でも残る。

どうして、メディアは魚市場は取り上げるのに、食肉市場は取り上げないのか

  二つの理由がある。一つ目は牛や豚を殺す映像なんてとてもじゃないけど流せないと主張する人がいるからだ。二つ目は、部落差別問題と関わるからだ。

結局わたしたちは何をしたらいいのか

  麻痺は誰でもある。差別の気持ちは誰にでもある。気づかないうちに人を傷つけてしまうこともある。

大切なことは、「知ること」なんだ。

知って思うことなんだ。

人は皆、同じなんだということを。

いのちはかけがえのない存在だということを。

 

本の話はここまで。

 『いのちの食べ方』というDVDもあります。ツタヤで見かけたこともあります。鳥や牛が育ちと殺される過程が、一つのナレーションも字幕も音楽もなく、映像と音(鳴き声と作業音)だけで紹介されています。とてもシュールです。 

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