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『峠』司馬遼太郎がすごい 

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『峠』をじっくり読んでみた。「北越の蒼龍」「ラストサムライ」河井継之助の名言

人間とはなにか、ということを、時勢に驕った官軍どもに知らしめてやらねばならない。驕りたかぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府軍の連中に、いじめぬかれた虫けらというものが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかをとくと思い知らしめてやらねばならない。

 司馬遼太郎作品の秀作『峠』を、このお盆にじっくり読みました。上のセリフは、本作の主人公「河井継之助」の言葉です。わたしの一番好きな言葉です。この本が好きで好きで。2年に1度は読み返しています。

 河井継之助は、慶応4年8月16日の午後8時に死にました。数えで150年です。そうか、今年は明治150年だ。西暦にすると1868年ですが、それだと日にちがずれて、10月になります。

 わたしは、何度もつまずきながら生きてきました。その底にいたとき、『峠』を手にし、彼の熱い魂の叫びを聞き(読んだのではありません、わたしははっきり聞きました)、気力が満ちてくるのを感じました。

 いくつもの河井語録をノートにメモし、何度も繰り返して頭に叩き込みました。そして、苦しいときやくやしいとき、頭の中で、口に出して自分を鼓舞しました。また、弱者が目の前で理不尽な思いをしているとき(社会人をしていると年に一度くらい、このような場面に遭遇するのです)、「ちょっとまて!」と前に出たりもしました。前に出ても何も言えなかったのですが。でも、いいのです。「あなたが悲しい思いをしていることを知って、いてもたってもいられない人間がここにいる」ということを、その方にわかってもらえたらそれで十分ですから。

 彼のセリフをつぶやくと、このへっぽこなわたしに彼がのりうつってくれる、そんな気がしました。「なぐられてもいいから、勇気と力をふりしぼって立ち上がるべきだった」と後悔することありませんか?そんなこと、わたしにはもうありません。継之助がわたしのうしろにいるからです。「おい、おまえ、これでいいのか?」と継之助がいつもわたしに言うのです。

 さっそく紹介したいのですが、「誰だよ、河井継之助って」と思いますよね。「ブッダの名言」や「アインシュタインの名言」なら、読んでみようかなと思うかもしれませんが、「河井継之助の名言」だと知名度が足りません。

 そこで、『峠』と河井継之助のを紹介をながら、その名言を紹介します。知っておいて損はありません。ぜひ、ご一読を(涙)。読んで、一つでもみなさんの心にひっかかってほしい、そういう気持ちで一生懸命書きますから。

『峠:上』

幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。

 (日本語訳)

「長岡に生まれたワイルドな男が、せまいいなかにじっとしていられず日本中を旅する」

 旅をするってあります。当たり前ですが、徒歩ですよ。「頭でっかちになりたくないのさ、おれは行動するためのものさしがほしいのさ」ってとこですね。

 では、河井語録上巻編スタート! 

人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である。刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していて物が考えられるなどあれはうそだ。

 「あれはうそだ」かっこいいぞ。

おれは知識を掻き集めてはおらん。せっせと読んで記憶したところでなにになる。知識の足し算をやっているだけのことではないか。知識がいくらあっても時勢を救済し、歴史をたちなおらせることはできない。おれは、知識という石ころを、心中の炎でもって熔かしているのだ。

 「知識を心の炎で溶かすのだ」。

志の高さ低さによって、男子の価値が決まる。このこと、いまさらおれがいうまでもあるまい。ただおれがいわねばならぬのは、志ほど、世に溶けやすくこわれやすくくだけやすいものはないということだ。志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにある。

 「志を高く」です。「血などいくらなくなっても生きていけるわ!気概がなくなれば、それこそ死!」。伝説の麻雀漫画「アカギ」に出てくる鷲巣のセリフによく似ています。 

『峠:中』

旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。

 (日本語訳)

「黒船襲来。日本は大騒ぎだ。長岡藩はどうしたらいいのだ。だれか、このピンチを救ってくれ。よし、あの男を家老にしよう。その名は河井継之助!」

 幕府側につくのか、それとも薩長につくのか…。困った長岡藩は、河井継之助を家老にします。家老とは殿さまに進言する立場です。

おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死にの覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考えるものがえらい。

  峠の「中」は、下巻に向けての足場固めであり、クライマックスの準備です。下巻で爆発しますから、みなさんの気持ちが離れないうちにさっさといきましょう。

『峠:下』

開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩をひきいて官軍と戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の陰にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。

(日本語訳)

「官軍と旧幕府軍、どっちにつくのが美しいか考えろ。幕府には世話になった。官軍につくのは人の道に反する。だが、官軍と戦ったら長岡の民が無事ではすまない。長岡藩はどっちにもつかない。長岡藩は俺が守る!」

 くそう、なんといって説明したらいいんだ。人はどう行動すれば美しいのか、ということを彼は突き詰めて考えた。そして、美しいと思ったら可能・不可能を考えずそれを行動にうつす、これが河井継之助の美学でありまして…。

 クライマックス!さあ、みんな、胸に刻み込め!

人間、成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である。いま、この大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。

 彼は会津にもつかず、官軍にもつかず、中立を保つこととします。官軍は西から来ます。官軍は「金を出せ、兵を出せ」と威張り散らしてやってきます。彼らには金がありません。金、人、食料は現地調達です。と言えば聞こえはいいのですが「略奪」です。

 荒れた官軍の若い兵たちに「官軍にはつかない。そのかわり会津にもつかない。藩内に侵入せず通過してほしい」と頭を下げ、何度も頼む継之助。しかし、聞き入れてもらえません。プライドの高い継之助がさらに頼む。「官軍とは戦えない、戦ったら民の命が危ない」と。しかし、「金も出さない、兵も出さない。だったら、早く帰って戦う支度をせい、それともびびったか」と剣でつかれます。

 なるほど、もうわかった。やってやる!やってやるぞ!と。

これ以上は、道がない。むろん、全藩降伏という道はある。しかしながら、わが長岡藩はそれを望まぬ。瓦全は、意気ある男子の恥ずるところ。よろしく公論を百年の後に俟って玉砕せんのみ

 「瓦として、いのちを全うするというのは男子のとる道ではない。いずれが正しいか、その論議がおちつくのは百年のちでなければならない。歴史は百年たてば鎮まるであろう。その百年の後世に正邪の判断をまかせるべきである。その百年ののちの理解をまって、いまはただ玉砕せんのみ。全藩戦死することによってその正義がどこにあるかを後世にしらしめてやる!」これは、司馬さんの訳です。あまりに美しいのでそのまま書きました。

 そして、長岡藩士をこう鼓舞します。これです。ここが一番好き!

人間とはなにか、ということを、時勢に驕った官軍どもに知らしめてやらねばならない。驕りたかぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府軍の連中に、いじめぬかれた虫けらというものが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかをとくと思い知らしめてやらねばならない。長岡藩の全藩士が死んでも人間の世というものはつづいてゆく。その人間の世の中に対し、人間というものはどういうものかということを知らしめてやらねばならない。

 うなるガトリング砲!戦いますが、押し寄せる官軍の量にじりじりと押されます。くそう!こいつら何人いるんだ!疲れ切っている兵に民。彼らに向かって継之助はこう言います。

御家はみなを見捨てぬぞ。食い物がなくなれば本陣へ来よ。たとえ兵糧に事欠いても、一粒の米を二つにくだき、三つにくだいても食わせるぞ。継之助がうけあうぞ。

 泣けてきた。泣けてきたぞ。がんばれ、継之助(涙)。

 しかし、銃弾をあびてもはやこれまで。彼は、侍者にこう言います。

どうやらわしは死ぬ。もうおっつけ官軍がくる。それまでにわしは自分の始末をせねばならぬ。わしが死ねば死骸は埋めるな。時をうつさず火にせよ。いますぐ、棺の支度をせよ。焼くための薪を積み上げよ。主命である。おれがここで見ている。

「松蔵、火をさかんにせよ」8月16日午後8時、死去。くそう。

 このセリフ、一つでもいいので覚えていただけたらと思います。

 みなさん、これ、最後まで読んでくれましたか?わたしの完全なひとりごと?ここまで誰もついてきてないの?ふりかえったら誰もいない?いや、強烈に歴史に詳しい方がいます。

 ちなみに、長岡を窮地に陥れた張本人として、継之助を非難する声が当時からあり、それはいまも続く、とネットで知りました。現実に何も知らないわたしが、ここで彼のことを激賞することが関係者の心を傷つけてしまうかもしれません。その点が気がかりではあります。