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「生きる力」にもの申す  『「不自由」論』-「何でも自己決定」の限界 仲正昌樹

 今の学校教育でつけさせたい力とは最終的には「生きる力」なのだそうです。

 この本は、教育書ではなく哲学の入門書です。筆者も、教育学者ではなく哲学者です。哲学者である仲正さんが、「生きる力」を例にあげて、「主体性」や「自由」、「自己責任」について言及しています。

 「生きる力」とは何か知っていますか?この「生きる力」が言われ始めたのは今から20年ほど前ですから、今の20代の方々はまさにその当事者です。もちろん今の小中学生も。

 「生きる力」とは何か。出典は、『中央教育審議会第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」子供に「生きる力」と「ゆとり」を1996』

 学校の目指す教育としては、

「生きる力」の育成を基本とし、知識を一方的に教え込むことになりがちだった教育から、子供たちが、自ら学び、自ら考える教育への転換を目指す。そして、知・徳・体のバランスのとれた教育を展開し、豊かな人間性とたくましい体をはぐくんでいく。

 筆者によると、この答申を機転として学校教育は「詰め込み教育」から「ゆとり教育」へ転換した、「生きる力」というのは「主体的に生きる力」だとのことです。

 そしてこの「生きる力」論に大きく2つの疑問を投げかけます。

 一つ目は、

主体性を大切にするなら、学校に行きたくないという主体性をもった子どもも学校に行かなくてはならないのはなぜか

 二つ目は、

主体性って他人が教えることができるのか

 今では、フリースクール不登校の子どもも認めていますから、実際は「学校に行かなくてはならない」とはなっていないのですが、基本的には「学校に行く」というのは当たり前となっています。 

  筆者はこう言います。

 子ども自身の主体性を尊重するなら、学校を全面的にフリースクールにして、通いたい子だけが通うことにすればいいはずだが、そこまでは話を進めようとしない。暗黙のうちに、学校という文脈を境界線として守ろうとしている。学校が必要なのは常識でしょう、では納得できないのでは?

 そして、

 学校という枠の存在をきちんと設定し、その中での「主体性」育成の方法を具体的に考える必要がある

 とします。法律で決まっているから行かなくちゃいけない、ではなく、学校の役割を本当の意味で考えよう、主体性を育てるにはどうしたらいかを考えよう、と言います。

 ルソーや佐藤学など昨今の哲学者や教育学者の論をあげつつ、筆者はこう結論付けます。

 学校の目的を「作られた制度的な枠の中での協力関係の築き方を学ぶところである」とした上で、そのためには「受験勉強」からではなく「ゆとり」が必要だ、という議論にすれば、それなりに具体性が出てくる

と言います。

 そして、

 主体性とは全くの無から自主的に生じるわけではなく、一定の文脈の中でのみあらわれてくる。

 何らかの具体的な「目的」があってそれに向かって行動しようとする中で、その状況ごとの「主体性」が浮上してくる。どのような文脈の中での行動が「主体的な行動」なのかをはっきりと自覚しなければならない。

 としています。

 まとめると、学校とは、作られた枠であり、主体性とは目的をもたせて考え行動させることで育つ。だから、教師は子どもに行動の目的をきちんをもたせなければいけない。そして、主体性の具体をきちんと設定する。主体性をもった子どもはどういう行動をとるのかを様々な文脈の中で教師が想定しておく必要がある、ということでしょう。

 それにしても、先生は大変です。この本は約10年前に書かれた本ですが、今はこの「生きる力」はそのままに、「小学校英語」「道徳の教科化」「部活」とつぎつぎとやることが増えていきます。

 わたしの息子の先生を苦しめてほしくありません。 

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