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偶然うまれるものが完全なものだ 『天才 勝新太郎』春田太一

 日々の仕事で壁にぶつかると、過去の引き出しからその状況に見合うものを探して、それを少しアレンジして対処する、そういうことが多くなってきました。うまく言えば、「そつなくこなしている」、悪く言えば、「流している」となるでしょう。

 もう長いこと、真剣に悩み、考えを練りに練って自分を追い込む、そういう作業をしていません。考えようとしても、考えるのではなく探してしまうのです。この分野の先人の実績を調べ、それを少しだけアレンジして、さも自分が考えたかのようにふるまうとんでもない仕事ばかりしています(それが違法ではない仕事ですし、それも勉強といえるような仕事なのですが)。

 もうそろそろいい年、他人のまねではなく「自分の型」を作りたい、そう思っていたわたしにとって、この本は衝撃でした。

 勝新太郎、破天荒というイメージしかありませんでしたが、そのイメージがほんの一面に過ぎないことを知りました。そして、「自分の型を作る」とはどういうことかも。

 

 とにかく勝新太郎は、既成のものが大嫌いでした。どの脚本家の筋書きも今までのパターンから抜け出しきれないものばかり。ついには自分で脚本を書くのですが、自らそれを破り捨てる勝。「生まれたものはすでに過去のもの、それは過去のパターンに過ぎず、役者をそのパターンにしばりつけることになる」そういう天才ゆえの葛藤に苦しみます。

 そして、ついに勝は脚本を持たずに、撮影現場に行くようになります。困ったのは役者たちです。当日まで脚本をもらえないのですから、芝居ができません。そこで勝のことをよく知っている助監督が勝の考えにそっているであろう脚本を書き、役者に事前にそっと見せると、それが勝にばれてしまいます。「こんな本で芝居させるつもりか」と、またまた大激怒。

 脚本は勝の手によって徹底的に直されていった。勝が口でアイデアを語ると、それはいつの間にか脚本の形になっていた。そのアイデアは、日常のどの瞬間に生まれるか分からない。だから周囲の人間はいつもテープレコーダーを用意していた。それを書き起こしたものが台本になり、スタッフに配られる。さらにそれを現場の即興で換骨奪胎、当初とは全く違う芝居や人物像が出来上がる。

なるほど。

 最も新しく生まれた芝居こそが最も優れている。脚本で計算された芝居はすべて腐っている…。今あるものを壊し、たえず新しいものを求める勝にとって、それはむしろ理想的な脚本づくりのスタイル、「希少価値」の極致だった。脚本は、勝が直すための土台に過ぎない。即興のアイデアでいくらでも面白くできる。事実、勝が直せば直すほど、芝居はみるみる輝きを放っていった。

 ですが、こういった監督のもと(主役であり監督です)では、スタッフも動きにくいだろうと思います。しかし、そうでもないようで、

 勝がいつどのタイミングでセリフを言い始め、どのタイミングで動き出すか分からない。カメラをはじめとするスタッフたちの緊張感は尋常でないものになり、現場の集中力は高まる。その結果、スタッフと役者の間に空気で互いを感じ合うコンビネーションが生まれ、映像に迫力がもたらされていくことになる。計算された表現からは絶対に出てこない、即興の緊張感のなかから生まれた表現こそが完全なものだということだ。「偶然の完全」。それが勝の目指した表現だった。

 一切の妥協を許さずに理想を追い求めます。そして、ついには、人の書いた脚本、演出に満足ができなくなります。結局、自らが脚本を書き、それを現場で演出することになります。

 また、勝自身もつねに自分の思考をとがらせ、芝居にどん欲になっていきます。こんなエピソードがあります。

 「勝の芸の原点は人を観察することにありました」当時、座付き作家として間近から勝を見てきた中村努。酒の席では、酔いながらも周囲の人間をじっと観察し、その表情やリアクションを全て頭の中に入れていた。

 ある日、勝と中村がホテルのエレベーターに乗っていると、途中の階から派手な格好の中年女性が乗り込んできた。そのケバケバしさに、中村は思わず目をそむける。部屋に戻って、勝が言った。

「なんで目をそらした?なんで見ようとしない?オレの頭にはいっぱいのゴミがついている。それが芝居の素になるんだ。おまえも本屋(脚本家のことです)だったら、気にいるものだろうが、気にいらんもんだろうが、なんでも見るんだ!」

 そして、勝は自身も観察していた。勝は話している時によく鏡を見ていた。「こういう話をしている時に自分はどういう表情をしているのか」「こういう感情の時、自分はどういう行動をしているのか」それを観察していたのだ。日常の営みの延長線上に芝居はある、それが勝の信念だった。

 そして、行きつくとこまで行きつくと…

 だが、段々とただ観察しているだけでは飽き足らなくなってくる。見れば見るほど、人間は不思議だ。もっと人間を知りたい。勝は人間の裏側がどうなっているのかを知りたくなった。その表情の、行動の後ろに何があるのか。勝は目には見えないものを見ようとしていた。

 アイデアは降ってくるもの、とよく言います。しかし、ただ降ってくるのを待っているだけの人間には降ってきません。絶えず思考している人間にしかアイデアは降ってこない、「熟考を重ねに重ねた末にアイデアが降ってくる」、そのその経験の積み重ねが「自分の型」になっていく、ということなのでしょう。