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日本人の努力は報われない

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 何をもって「努力」とし、何をもって「報われる」とするかによります。普通は、目的に向かって行動することが「努力」で、よい結果が出ることが「報われる」といったところでしょう。日本人は諸外国に比べ、この「努力信仰」が強い気がします。

 釣りに例えると、竿を出すことが「努力」であり、魚が釣れることが「報われる」ということになります。

 しかし、よい結果はそうは出ません。3回やったからできるとか、5回やったからできる、とかそんなことはほとんどありません。100回竿を出して1回釣れるかどうか、その程度です。

 確率にしたら1%です。報われることを求めていたら、少ししんどくなりますよね。

 そう考えると、たいていの努力は報われません。それなら最初から努力などしなければいいじゃないか、ということになりそうですが、そういうことでもありません。そして、竿を出さないと魚は絶対に釣れないから努力はした方がいい、ということでもありません。

 もちろん、「1回1回を全力で行い、なおかつ直後に分析し次に生かす」というのが本当の努力であり、「ただ竿を出すことは努力とは言わん!」という方がいても当然ですし、そういう考えを否定する気もありません。しかし、わたしはしませんし、これからもするつもりはありません。

 学校のテストなら、努力はある程度報われると思います。テストでは事前に出題範囲が教えられ、その範囲内で勉強すればその結果が点数となって返ってくるからです。釣り堀のようなものです。出題範囲の広さは釣り堀の広さと同じです。面積が広ければより魚が釣れる機会も減るでしょう(釣り堀はその分魚を増やしていますけど)。出題範囲があるということは、必ずそこに魚がいるということです。

 しかし、社会に出れば出題範囲などありませんから、どこに魚がいるかもわからないまま、ただ竿を出すのみです。試行錯誤の結果、魚が釣れるかもしれません。ただ、魚は釣れなくても、日の光を浴び潮風にふかれるここちよさを味わったり、隣でいつも並んで釣っている人となかよくなったりします。そして、釣りをしないときも、自然を愛でたり釣り仲間と食事に行ったりすることが、いつの間にか自分にとっての「魚が釣れる」以上のよい結果になる、そういうことがあります。

 目的を絞りすぎると、結果に執着しすぎると、思いもよらなかった幸運を見逃してしまうかもしれません。魚が釣れなかったら意味がないんだよ、とおっしゃるあなた、隣で釣りをしている人が、自分の会社の社長かもしれませんよ。「釣りバカ日誌」をたとえに出しました。わたしはそういうことは考えませんが、たとえです。たとえ。