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座右の書が『路傍の石』ってどうかと思っていたけど、ありかもしれない 『路傍の石』山本有三

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 よく「座右の書」を聞かれて『路傍の石』と答えている方がいます。わたしはこれを中学生の時に読みました。すごくわかりやすいです。戦前に書かれたものとは思えないくらい読みやすいです。決して自慢ではありません。簡単なんですよ。

 ストーリーもわかりやすい。吾一というすごく賢い少年が、お金がないために世の荒波にもまれながら成長していくという話です。

 主人公の吾一少年は、学校一賢いのに貧乏のため中学へ行けず奉公に出されます。その奉公先は、よりによって学校一できが悪かった友達、秋太郎の家でした。

 吾一は、先輩奉公人から「呼びづらい」というさもない理由で「五助」と改名させられます。「吾一」から「五助」、「吾」は残してあげてもよかったんじゃないかと思うのですが。

 級友の秋太郎は頭が悪いのですが金はあるので中学に行き、賢い吾一は朝から晩まで働き通しです。秋太郎を「おぼっちゃん」と呼び、秋太郎は「五助」と自分を呼びます。秋太郎は中学の勉強など全然わかりません。そこで賢かった吾一に宿題をやらせるわけです。「ぼっちゃん、中学の勉強なぞわかりませんよ」と言うと、「教科書あるからそれ見てやってくれよ」と秋太郎。

 それでも、時々カステラや甘いお菓子をこっそり秋太郎がくれるわけです。それが嬉しいやら悲しいやら。そのやり取りがこちらです。

「この中に入っているあんこみたいなのは、なんです」

「それかい、それはジャムだよ」

「へえ、ジャムってんですか。うまくって舌がとけちゃいそうですね」

「五助、そんなに好きなら、残ってるのもってってもいいよ」

「でも、おぼっちゃんのが、なくなっちゃうじゃありませんか」

「いいよ。おれはまた、あとでもらうから」

秋太郎はそう言って、菓子ザラの中のワッブルを紙に包んでくれた。吾一はこのときぐらい秋太郎をありがたいと思ったことはなかった。できないどらむすこの背中から、この時ばかりはさっと後光がさしたように尊く見えた。

 彼はもらったワッブルを、ふとん部屋に置いてある自分のふろしき包みの中にしまっておいた。そしてときどき二階にあがっては、ふとんのかげに隠れて、半分くらいずつそっと楽しんでいた。

 暗い部屋の中で、ジャムをなめていたら、あるとき、ふいに目がしらがあつくなってきた。

「なんだい。あんなやつにもらって、ありがたがるなんて」

 そんな気持ちが腹の底の方から、ひょいと、もりあがってきた。が、タマゴ色をしたワップルの柔らかい皮が、ぼろっとこぼれたら、彼はあわててそれを拾って、口の中へもっていった。

 悲しすぎます。

 その後、細い「つて」を頼って東京に出ますが、誰も勉強させてくれないのですよ。「おまえみたいなもんが、甘くしたらすぐつけあがる」こんなことばかり言われます。その家を飛び出しあてもなくさ迷い歩き、そこで出会った老婆と生活することになります。このおばあちゃんの仕事が「おともらいかせぎ」でして、まあ、「葬式泥棒」とでも言うのかな。もうろくでもない…。

 わたしが持っている『路傍の石』は実家の本棚に入っていたぼろぼろのもので、昭和54年の八十刷となっています。巻末に「ペンを折る」と題した山本有三のおわびが掲載されています。連載中止となった「おわび」です。連載中止の理由は戦争です。

 ふりかえってみると、私が「路傍の石」の想を構えたのは、昭和11年のことであって、こんどの欧州大戦はさておき、日華事変さえ予想されなかった時代のことであります。しかし、ただ今では、ご承知の通り、容易ならない時局に当面しております。従って、事変以前に構想した主題をもって、そのまま書き続けることは、さまざまな点においてめんどうを引き起こしがちです。もちろんこの作品が国策に反するものではないことは、私は確信をもって断言いたします。

 続けます。

日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、不幸な事態を引き起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、私は途中から筆を曲げなければなりません。けれども、筆を曲げて書く勇気は私にはありません。

 緊迫した状況が伝わってきます。

もし、世の中が落ち着いて、前の構想のままでも自由に書ける時代がきたら、私は再びあの後を続けましょう。けれども、そういう時代が来なければ、あの作は路傍に投げ捨てるよりほかはありません。そういう運命は、すでに、この作の題名のなかに、含まれていたのかもしれません。

 何度もこの本読みましたが、このあとがきは読んでいませんでした。先の戦争中は言論統制が厳しかったという知識はあります。このあとがきを読み、その知識が熱をもってきた、そんな気がしてきます。

 難しいことが書いてあるわけじゃなし、今の時代に役に立ちそうな人生訓があるわけでもなし、です。この『路傍の石』を座右の書にあげる方には権威主義的なものを感じていました。

 でも、簡単なことを難しく書くことがありがたられた時代に、このような平易な文章で書くことの偉さ、また、時代の空気を感じさせてくれるこのあとがき、そう考えるとありです。『路傍の石』中学生の息子にすすめよう。