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太平洋戦争の時には暗号として鹿児島弁が使われたことがあるのだそうです 『深海の使者』吉村昭

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鹿児島の方言は暗号として使えるくらい凄いらしい 

 「カジキサー。ヨシトシノオヤジャ モ モグイヤッタドカイ」

鹿児島弁です。暗号として使われました。この意味わかりますか?

 太平洋戦争当時、日本はドイツ、イタリアと同盟を組んでいました。しかし、ヨーロッパとアジアは遠く、その通信や物資の搬送は連合国軍に阻まれ、難しい状況に置かれます。

 ドイツと日本の情報交換は、無線通信による暗号電報にたよる以外ありませんでした。しかし、その暗号はすべて連合国側に筒抜けで、何かいい方法はないものかと思案に暮れる日本側。盗聴されても理解できない言葉で会話しよう、どの言葉を暗号とするか。そこで選ばれた言葉が標準語に最も遠い鹿児島弁でした。

 その頃、ドイツに野村海軍中将がいました。中将を無事日本に帰国させるために、いつドイツを出発するかを日本側は知りたかったのです。そのやりとりに鹿児島弁が暗号として使われました。

鹿児島弁の使い手がドイツ大使館にいた 

 ドイツの日本大使館にいた鹿児島出身の館員が上司に呼ばれ、その任務を命ぜられます。しかし、館員はとまどいます。学生時代から東京に出てきているし、鹿児島にはほとんど帰っていない、しかもここ数年はドイツ暮らしで鹿児島弁を聞いてない、この私に早口の鹿児島弁を使いこなせるだろうか、と不安な思いのまま電話に出ます。

鹿児島弁(暗号)のやりとりの一部 

「カジキサー カジキサー。ノムラノオヤジャ ハヨ タタセニャイカンガナー モタッタケナー。(カジキさん、カジキさん、ノムラの親爺は早く発たせなくてはいけないが、もう発ちましたか?)」

「ヨシトサー ヨシトサー。ヨシトシノオヤジャ モ イッキタツモス。(ヨシトシさん、ヨシトシさん。ヨシトシの親爺はもうすぐ発ちます)」

「カジキサー。ヨシトシノオヤジャ モ モグイヤッタドカイ(カジキさん、ヨシトシの親爺は、もう潜って行かれましたか)」

「モ モグリャッタ」(潜水艦で行きました)

 この鹿児島弁のやりとり、日本の予想通りアメリカ軍に完全に記録されました。しかし、この会話の意味がアメリカ軍にはさっぱりわかりません。この暗号はなんだ?日本語ではない、ではアジアの他地域の言葉が?結局この暗号が鹿児島弁だとわかるまで2カ月かかったとのことです。

鹿児島弁は暗号のよう。まるで通じない『関ヶ原』(司馬遼太郎)より 

 薩摩の方言(鹿児島弁)が共通語とはまるで違う、という話は『関が原』(司馬遼太郎)にも出てきます。

 島津家というものには、家康はほとんどなじみがなかった。正信に言われるまでもなく、家康はそれがひどく気にかかっていた。

 島津家も、伏見に屋敷をもっている。地もとでは、「薩州さま」とよび、一種とくべつな目でみていた。なにしろ言語が通じないのである。このため薩摩御用の京商人や伏見商人たちは、手代に命じてこの国のことばを習得させているくらいであった。

このように、戦国時代からすでに鹿児島弁の難解さは有名でした。暗号として鹿児島弁が使われるのも納得です。

 岡田准一くんが石田三成を演じた映画『関ケ原』にも、薩摩からはるばる島津軍が登場します。島津軍が鹿児島弁を話すのですが、聞いていて意味がわかりません。暗号として使われるのも納得です。

潜水艦での生活  

 この太平洋戦争時、日本とドイツの輸送はほぼ潜水艦で行われました。距離にして三万キロ、この封鎖線を突破して一路ドイツを目指します。

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 日本を立ち、インド洋を西に向かい、喜望峰を北上します。大波浪やイギリス軍の執拗な攻撃に耐え、ついにドイツ着。約3カ月。この潜水艦生活が克明に記されています。

 艦内は悲惨な様相を示していた。大半の人間は艦内に閉じ込められたまま陽光も外気にも触れられず、猛暑に加えて湿度は百%近く、全身汗と油にまみれている。

 艦に貯えられている真水の使用は極度に制限されていた。水浴はもちろん洗面も許されず、百六十名に達する乗艦者の体からは、異様な臭気が発散し、顔も体も厚い垢に覆われていた。

 靴下を脱ぐと、靴下の中からよくわからない砂のような粉が、サーっとたくさん出てきます。何だと思いますか?よく観察したら、垢だったんです。垢がはがれて粉状になるのだそうです。うわっ。  

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