読書生活 

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三島由紀夫の自決について、司馬遼太郎が思ったこと 。『司馬遼太郎が考えたこと 5』司馬遼太郎

 司馬遼太郎(1923 - 1996)と三島由紀夫(1925 - 1970)、ともに日本を代表する作家です。司馬は多くの歴史小説を通じて「国民作家」と言われるまでになった大作家であり、三島由紀夫ノーベル文学賞候補にもなった作家であり思想家です。

 同年代を生きた作家ですが、この二人はお互いをどのように意識していたのでしょうか。私は司馬作品をよく読みますが、その中には三島さんに関するものがいくつか見られます。また、三島さんの作品の中にも、司馬さんと同じ現象について語ったものが見られます。

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 みなさんご存じのように、三島さんは衝撃的な事件を起こします。もちろんそのことを司馬さんもご存じだったと思いますが、その件についての司馬さんのコメントを読むことができずにいました。昨日、突然その記述に出会えたので、このブログに備忘録的に書き写しておきます。今回はそれのみです。『司馬遼太郎が考えたこと 5』です。長いので、ところどころ略して紹介します。

異常な三島事件に接してー文学論的なその死

 三島氏のさんさんたる死に接し、それがあまりになまなましいために、じつをいうと、こういう文章を書く気がおこらない。ただ、この死に接して、かれの死の薄汚れた模倣をする者が出るのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書く。

 三島さんの死をこころよく思っていないことがわかります。

 思想というものは、本来大虚構であることをわれわれは知るべきである。現実とかかわりがないというところに思想の栄光がある。

 ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方がつねにあり、とくに政治思想においてそれが濃厚で、たとえば吉田松陰がそれであった。

 松陰は、自分のゆきつくところが刑死であることを知り抜いてみずからの人生を極度に論理化し、彼自身が覚悟し予想していたがごとく、異常死へゆきついた。みずからの人生と肉体をもって純粋に思想を現実化させようとした思想家は、その純度の高さにおいて松陰以外の人を私は世界史に見出しにくい。

 われわれの日本史は松陰をもったことで、一種の充実があるが、しかしながらそういう類の精神は松陰ひとりでたくさんである。

 かれほど思想家としての結晶度の高い人でさえ、自殺によって自分の思想を完結しようとはおもっていなかった。

 私が松陰という極端な例をここに出したのは、むろん念頭に三島氏を置いてのことである。三島氏ほどの大きな文学者を、日本史は数少なくしか持っていないし、後世あるいは最大の存在とするかもしれない。

 三島さんの作家としての力量に対する最大の賞賛です。

 三島氏の死は、文学論のカテゴリーにのみとどめられるべきもので、太宰とおなじ系列の、ただ異常性がもっとも高いというだけの、そういう位置に確固として位置づけられるべきもので、松陰の死とは別系統にある。

 われわれ大衆は自衛隊員を含めて、きわめて健康であることに感謝したい。この政治論は大衆の政治感覚の前には見事に無力であった。このことは様々の不満があるとはいえ、日本社会の健康さと堅牢さをみごとにあらわすものであろう。

 この社会にはいろいろな問題があるけれど、何人も彼の演説に動かされることがなくてよかった、ということでしょう。

 こういう私の感想は三島氏の美学に対しては極めて無力であり、それが我々の偉大な文学遺産であることを少しも損なうものではない。我々はおそらく二度と出ないかもしれない文学者、三島由紀夫を、このような精神と行動の異常なアクロバットのために突如失ってしまったという悲しみにどう耐えていいのであろう。

 私には、三島さんの死を司馬さんが太宰と同系統の死と捉えていたとは思えないのです。知行一致の精神を、誰よりも高く司馬さんは評価していたはずですから(もちろんその作品の中においてです)。このコメントを読み、今、非常に複雑な思いです。