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他者からの評価を仕事の目的にしてはいけません 『下流志向』内田樹

 仕事に対する不満がたまっていた時期がありました。こんなはずじゃなかった、もっとやりがいのある仕事だと思っていた、そういう些末なものです。この思いにずいぶん苦しめられましたが、ある本を読み少し気が楽になりました。内田樹さんの『下流志向』という本です。

 「仕事とはつまらないものである。つまらないけれど、みんなが働かないと社会が成り立たなくから、国民の義務になっている」

 「快」「不快」、「幸せ」「不幸せ」、これらは他者との比較によってそれが鮮明になります。皆が楽しそうにしていたら、自分の負の感情がますますふくれあがるものですが、皆がつまらないのであればそう落ち込むことはありません。多くの人にとってつまらないものなのだ、しかしやるのだ、と腹をくくって目の前の仕事に取り組むようになりました。

 また、最近、新聞でこんな投稿を目にして気持ちが洗われる思いがしました。

「労働は自分のためじゃなく」

 人間はどうして労働するのか。それは私たちには与えながら生きていかなければならない義務があり、また隣人として支え合って生きるためではないだろうか。

 私は私が生きていくために必要なものを、親が苦労して働いた分の給料から分け与えてもらっている。だから、今度は自分が与える番なのだ。(略)経済力のある人は、経済力がない人を支えていかなければならない。我が子を育てるためには親は一生懸命働ならないが、それでも足りないならばその親を私たちが支えよう。

 私たちは自分が苦労して、得たものを隣人に与え、また隣人と支え合いながら生きている。こんな人生ならばどんなに素晴らしいだろう。労働は自分のためだとは思わない方がずっといい。

 19歳の短大生の投稿です。自己責任論が根をはってしまったこの日本で、このような考えをもつ短大生がいることに驚きました。

  前置きが長くなりました。今回はここからです。この投稿に対して、別の読者からの投稿が新聞の声欄に掲載されました。朝日新聞4月19日の朝刊です。投稿者は29歳の会社員です。

『我が喜びになってこそ「労働」』

 今春に就職された方々、滑り出しはいかがですか。「労働は自分のためじゃなく」(9日)を読みました。「私たちには与えながら生きていかなければならない義務があり」と記されていました。

 私は、労働は「他者の役に立ち喜んでもらうことで、自分も幸せになる」ことだと考えてます。労働は単に義務なのではなく、人に喜んでもらいたいという希望でもあり、自らの意志だと思うのです。

 労働が苦しいこともありますが、その成果を受け取る人の喜びにつながると感じられれば、受け止め方は違ってきます。

 一方で、いくら相手が喜んでも、労働が自分にとって苦労ばかりのものであってはならない、とも思います。相手も、労働の成果を受け取る自分が喜ぶことで、働いた人も報われ、うれしく感じてほしいと願っているでしょう。

 ですから、投稿者の「労働は自分のためではない」という思いは私にもありますが、「他者のためだけでもない」と思います。働く人も、その成果を受け取る人も、共に喜べる労働を求めてはいかがでしょうか。

 なるほど。一言でまとめると、「他者からの評価が仕事の喜びになる」ということでしょうか。

「いくら相手が喜んでも、労働が自分にとって苦労ばかりのものであってはならない、とも思います。相手も、労働の成果を受け取る自分が喜ぶことで、働いた人も報われ、うれしく感じてほしいと願っているでしょう

 ここです。「これだけのことをやったのだから、それに見合うだけの評価を相手はしてくれる」という他者からの評価を仕事の喜びとする限り、その労働者が報われる瞬間はそうそう訪れないでしょう。

 自分が1のことをしたら、1返ってくるどころか、0.1返ってきたらラッキーです。ところが、他者からの評価(見返り)を求めると、1のことをしたら1以上を求めてしまいがちです。そして、期待通りの見返りがかえってくることはおそらくありません。

 仕事のやりがいが他者からの評価によって生まれる、こういうことはあります。しかし、最初からそれを期待するのはよくない、と言いたいのです。これが私の仕事である、義務である、やるのである、と決意し、懸命に汗を流す。見返りなどを求めずに、日々真摯に仕事をこなす。その地道な仕事ぶりを周囲が評価し、その評価がその人に思いがけない形で届く、そういうものです。見返りを求めているうちは手に入らない、見返りはそれを放棄し続けた結果、後からついてくるものです。

 先の短大生には、その文章から、真摯さや強さ、仕事への覚悟が備わっていることがわかります。この子は誠実に仕事に取組み、おそらくそう遠くない将来、周囲からの評価により仕事にやりがいをもつことができると思います。

 「がんばれば他者から評価されるよ」という27歳の投稿者の台詞は、この子にとって不要です。余計なことを前途ある若者に言ってはいけません。知らない方がよいことが世の中にはあるのです。「美女と野獣」という映画があるでしょう。周囲の人は美女に、「野獣と恋に落ちてキスしたら、野獣はハンサムな男性に戻るんだよ」と言いません。女性も、そんなことを知らずに野獣を野獣として好きになります。他者からの評価を期待して仕事をするのは、犬がハンサムな男性に変身することを期待して、犬と接するようなものです。あなたがいくら尽くしても、犬は犬です。あなたにいくらなつこうが、その犬がハンサムな男性になることはありません。