読書生活 

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土方歳三 「一刀斎夢録(下)」浅田次郎

死んで神となった 土方歳三 

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 沖田、土方、近藤ら仲間たちとの永訣。土方の遺影を託された少年・市村鉄之助はどこに消えたのか。維新後、警視庁に奉職した斎藤一は抜刀隊として西南戦争に赴く。運命のち・竹田で彼を待っていた驚愕の光景とは。百の命を奪った男の迫真の語りで紡ぐ鮮烈な人間ドラマ・浅田次郎新選組三部作、ここに完結。

 

 土方関連の本をいくつか読みましたが、その中でもとびきり極上の描写です。

 

やつは戊辰の戦を、とことん戦い抜いた。ここが死場所と思うたことは幾度もあったであろうが、そのたびごとに「まだまだ」と念じて、ついには函館開城の土壇場でおのれを持ちこたえた。

そして、もはやこれまでと確信するや、五稜郭より討って出て、まるで絵に画いたような討死をした。あそこまで立派な死にようをされたのでは、元は百姓じゃなどと誰が言えるものかよ。

警察官として長く奉職しておった間、わしの主たる務めは要人の警護であった。正体などは知られておらなんだゆえ、その要人どもの雑話から御一新の懐旧譚をしばしば洩れ聞いたものじゃ。

近藤勇の名は、よく耳にした。沖田総司、永倉新八、しまいには斎藤一という名前も聞くことがあって、思わず「わしじゃ、わしじゃ」としゃしゃり出たくもなったものだ。

しかしふしぎなことに、土方歳三の名は出ぬ。仮に誰かが口を滑らそうものなら、たちまち失言を被うように話題が変えられた。

どういうわけか、わかるかの。

御一新の戦の敵味方にかかわらず、生き残った者にとって土方歳三の名は、禁句だったのだ。

武士の時代を双肩に背負ったあの死に様はの、かつて武士であった者たちの目にあまりに眩く、あまりに輝かしく、その名を口にするだけでもおのれの栄光がすべてめしいてしまうように思えるのであろう。

考えてもみよ。維新の元勲と称せられる長州人は、京師の怨み骨髄の土方に、武士としてこのうえない死出の花道を歩まれてしもうた。薩摩人にしてみれば、また違った意味からいよいよ重い死に様であったろうよ。

大樹公は公爵に列せられて、今もご健在じゃ。五稜郭で降参した榎本和泉守は外相や農商務相を知らん顔で歴任しおった。勝安房守に至っては、枢密顧問官の伯爵様じゃ。

そうした者どもの頭から、土方歳三の名はまず忘れられたことはあるまいて。ゆえに禁句なのだ。

江戸城開城の折のかけひきにおいて、勝安房のふるうた采配はまさしく神をみるがごときであった。わしらはみな、やつに踊らされた。しかるに、土方はみごと大逆転をいたしたの。向後の歴史において、勝安房守は偉大なる人物にとどまるであろうが、土方歳三は神とされる。

 

 西郷は、生きながらにして神とされていたと聞きます。来年の大河が楽しみです。