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命をかけるとは 「若きサムライのために」三島由紀夫

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口だけでない「命をかける」

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男の生活と肉体は、危機に向かって絶えず振り絞られた弓のように、緊張していなければならない。平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑(なみ)し、ニセ文化人の「お茶漬けナショナリズム」を罵り、死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、挑発と警世の書。死の一年前に刊行された、次代への遺言。

 

 学生運動にあけくれる学生たちを、三島はバッサリ切りすてます。 

 

 こん棒をふりまわしても破防法は適用されず、一日二日の拘留で問題は片付いてしまう。しかもおまわりさんは機動隊の猛者といえども、まさかピストルをもって撃ってくる心配はないので、いくらこちらが勇気を奮って相手をやっつけても、強い相手が強い力を出さないで、あしらって一緒に遊んでくれるのである。幼稚園と保母のような関係がそこにはある。

 したがって、今の日本では勇者が勇者であることを証明する方法もなければ、不勇者が不勇者であることを見破られる心配もない。最終的には、勇気は死か生かの決断においてきめられるのだが、われわれはそのような決断を、人には絶対に見せられないところで生きている。口でもって「何のために死ぬ」と言い、口で「命をかける」ということを言うことはたやすいが、その口だけか口だけでないかを証明する機会は、ない。

 

 「命をかける」と皆が言うが、今の日本ではこの言葉が本当かどうか見破られることはない、と三島は言います。衝撃的な死を遂げたとのこと。彼の思想は私の範疇を大きく超えているが、少なくとも、彼の「命をかける」という言葉は本当だったということを、多くの日本人は知っています。また、彼が強い肉体と精神をもった人間だということが、この短いエッセイ集を読めばわかります。