読書生活 think it over

本や新聞を読んでいます

恋愛とは 「堕落論」坂口安吾 

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「ああ、安吾ね」って言ってみよう

 坂口安吾。1906年、新潟生まれ。1955年、48歳で逝去。この作品の初版は昭和32年です。私たちより、2~3(4?)世代前の方です。私感ですが、この年代の方々(太平洋戦争を成人して経験なさっている)の作品は、難解なものが多いように思います。あらゆるものの論理(思想的にも物理的にも)の創造と破滅を、子どものように純粋に信じるではなく、自分の頭で考え抜いた方々なので、思いが強いのかと。文学青年だった頃よく読みました。「ああ安吾ね」と言ってましたが、実はほとんど頭に入っていませんでした。

 難解で話がわからなかったり、話は分かるけど何が言いたいのかよくわからなかったり、という場合は、その作家のエッセイを読むことをおすすめします。エッセイでは、世代をこえた関心事についてわかりやすい言葉で語っているので、とっかかりとしておすすめです。特に、この「堕落論」は、青春、恋愛など誰でも一度は考えたことのある話題について触れているので、坂口安吾について少しわかったような気になれます。

 

恋愛について

恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡びさめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。このことについて、若い人々は、ただ、承った、という程度でよろしいのだと私は思う。教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。つまり、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。

 

恋をすれば、夜もねむれなくなる。別れたあとには死ぬほど苦しい。手紙を書かずにはいられない。初恋だけがそうなのではなく、何度目の恋でも、恋は常にそういうもので、眠れなかったり死ぬほど切なく不安であったりするものだ。

 

一二年のうちには、また別の人にそうなる。恋愛も人生の建設と同じことで、本能の世界から文化の世界へひきだし、めいめいの手によってこれを創ろうとするところから、問題がはじまるのである。

 

A君とB子が恋をした。二人は各々ねむられぬ。別れたあとでは死ぬほど苦しい。手紙を書く、泣きぬれる。そこまでは、二人の親もそのまた先祖も、孫も子孫も変わりがないから、文句はいらぬ。しかし、これほど恋しあう御両人も、二三年後には御多分にもれず、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりするのである。何かよい方法はないかと考える。

しかし、大概そこまでは考えない。そしてA君とB子は結婚する。はたして例外なく倦怠し、仇心も起きてくる。そこでどうすべきかと考える。

人は恋愛によってみたされることはない。しかし、恋愛は人生の花であり、この他に花はない。

 

 ようするに、「永遠の愛などないけど、そんなこと気にせず恋愛しなさいよ」ということのようです。「ああ、安吾ね」と少し言えそうな気がしませんか?

この世の地獄 「闇の子供たち」梁石日

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この世の地獄がここにある

~貧困に喘ぐタイの山岳地帯で育ったセンラーは、もはや生きているだけの屍と化していた。実父にわずか八歳で売春宿へ売り渡され、世界中の富裕層の性的玩具となり、涙すら枯れ果てていた~

 

タイやその周辺国における、幼児売春、臓器売買の話です。

 

親から風俗斡旋業者に売られた子どもたち。

世界中から来る変態たちに考えられるありとあらゆるサービスを行うことで、

何とか生きながらえます。

 

何とか逃げられても、生きる場所がありません。

路上には、ストリートチルドレンがあふれ、

縄張りを荒らされないよう、煙草をふかしながら交代で見張っています。

 

エイズになり、動けなくなって、大型焼却場に捨てられる子どもが登場します。

必死の思いでビニール袋を破り、故郷の村まで歩いて帰ります。

家族に会いたい、ただそれだけを願って歩き続け、ようやく村に着きます。

村に帰ると、両親が困った顔をしています。

そりゃあ、そうでしょう。その子を売ったお金(日本円で36000円)でテレビを買い、そろそろ下の子も売ろうか、と考えていたわけですから。

 

社会福祉センターなどが、日本人とともに助けようとしますが、軍も警察も行政も、斡旋業者に買収されているため、ほぼ効果がなく、最悪殺されます。

 

 

とにかく厳しい状況が執拗に緻密に描かれています。

そこそこ売れているようですが、最後まで読み通せる人がそんなにいるのかと驚きました。貧困に対する考え方が日本とは全く違うようです。セーフティーネットなど一切ありません。

 

映画化もされています。

しかし、映画では、本作のよさがあまり生かされていない気がしました。

細かく具体性があり、また、衝撃的な内容だからなのか、

2時間の枠の中でうまく表現しきれていない、という印象を受けました。

脚本と、映像がぎこちない感じです。

断然文庫の方がおもしろく、核心にせまっていると思います。

 

児童買春目的でこの国に多くの日本人が訪れているとのこと。

この世の地獄とはまさにこのことです。

世界の闇は恐ろしく暗く深いです。

 

 

 

完全数 「博士の愛した数式」小川洋子

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完全数、なんて素敵な響き

「ぼくの記憶は80分しかもたない」博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた。記憶力を失った博士にとって、私は常に「新しい」家政婦。博士は「初対面」の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりにも悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。

 

数学の深遠さと、人の繊細な心の描写を両立させている奇跡の一冊。私のような貧乏性にはとても嬉しい本です。

 

博士の数学論をいくつか紹介します。

 

数学は人間が発明したものではない。人間が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずそこに存在している定理を掘り起こすんだ。神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。その手帳がどこにあって、いつ開かれているのか、誰にもわからない。

 

人間が発明したのなら、誰も苦労はしないし、数学者だって必要ない。数の誕生の過程を目にした者は一人もいない。気が付いた時には、もう既にそこにあったんだ。

 

数学雑誌の懸賞問題を解くことについて

こんなもの、ただのお遊びにすぎない。問題を作った人には、答えが分かっている。必ず答えがあると保証された問題を解くのは、そこに見えている頂上へ向かって、ガイド付きの登山道をハイキングするようなものだよ。数学の真理は、道なき道の果てに、誰にも知られずそっと潜んでいる。しかもその場所は頂上とは限らない。切り立った崖の岩間かもしれないし、谷底かもしれない。

 

数学とは、神様が作ったものだといいます。数学者はそれを発見するのが仕事なのだと。「何言ってるんだか」と思いましたが、この本に登場するいくつかの事例を知ると、納得です。

 

完全数って知ってますか?

約数を全て足すと、その数自身になる数のことです。一番小さい完全数は6。次が28。その次が496。

6=1+2+3

28=1+2+4+7+14

496=1+2+4+8+16+31+62+124+248

もう一つの完全数の性質は、「連続した自然数の和で表すことができる」です。

6=1+2+3

28=1+2+3+4+5+6+7

496=1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17+18+19+20+21+22+23+24+25+26+27+28+29+30+31

これは、すごい、トリハダものです。まさに、神様の手帳に書かれている美しい調べ!この完全数について教えてもらった時のことを、家政婦さんの言葉を借りて小川さんはこう表現しています。

 

博士は腕を一杯にのばし、長い足算を書いた。それは単純で規則正しい行列だった。どこにも無駄がなく、研ぎ澄まされ、痺れるような緊張感に満たされていた。アルティン予想の難解な数式と、28の約数から連なる足算は、反目することなく一つに溶け合い、私たちを取り囲んでいた。数字の一つ一つがレースの網目となり、それらが組み合わさって精巧な模様を作り出していた。不用意に足を動かし数字を一つでも消してしまうのがもったいなくて、じっと息をひそめていた。今、私たちの足元にだけ、宇宙の秘密が透けて浮かび上がっているかのようだった。神様の手帳が、私たちの足元で開かれているのだった。

 

完全数は、まだまだあります。496の次は、8128、33550336、8589869056…

 

博士は阪神のファンです。江夏がお気に入りで、その江夏の背番号が28です。博士の記憶はずいぶん昔の事故でとまっていて、博士は今でも江夏が活躍していると思っています。この作品の設定は1992年。阪神が1985の日本一の後、長い低迷期から脱出し優勝に手が届きそうになった、あのシーズンです。亀山が大活躍したあのシーズンです。私はその年の秋、学生でした。にわか阪神ファンになり(はやりものにのっかる、学生ってそういうものでしょ)、神宮に見に行きました。懐かしいです。あれから20年(涙)。 

この作品の初版は2003年。ちなみにこの作品、第1回本屋大賞受賞作品です。 

 

 

 

 

民主主義 「社会を変えるには」小熊英二

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声をあげることの大切さ

大震災後、首相官邸前で、国会議事堂前で、原子力発電所の前で、何十万人もの人たちが集まって、デモが行われました。アメリカでは、新大統領を批判するデモが行われているようです。たいていの人は、

「こんなことをしてもなにも変わらないのに」

と思っているのではないでしょうか。

著者の小熊さんは、

「社会を動かすのは選挙だけではない。デモでも社会は変わる」

そういいます。

 

「デモをする社会」の可能性を探った本です。

民主主義とは何か、政治とは何か、をその宗教的な起源にまでさかのぼって説明しています。小熊さんは、

「代議制民主主義は、たかだか数百年前に成立した、政治の一形態に過ぎないのだ」

といいます。

また、

「参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる。〈まつりごと〉が民主主義の原点だ。自分たちが超えたものを〈代表〉していると感じられるときは、人は生き生きとする」

といいます。

さらに、

「動くこと、活動すること、他人と共に社会を作ること、は楽しいことだ」

ともいいます。

 

声をあげようということです。

誰かが新しい社会を作ってくれるのを待つのではなく、「社会を作る」プロセスの一つ一つが、自分を変え、それにかかわる相手を変えてゆく、そして、変わってゆくことは楽しい、と人々が知ったとき、そこに「人がデモをする社会」が生まれてくるように思います。

 

この本、難しそうなことをとても易しい文章で書いてあり、中学生でも理解できると思います。

一つ難点は、凄まじい厚さで手に持ちづらいことです。

 

机問題 おすすめです

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昔から既製品の机の大きさに不満を持っていました。

小さすぎるんです。すぐに机の上がいっぱいになってしまう。

机は大きい方がいいと思うものの、巨大な机というものはめったにありません。

特に、安定した机というのは皆無でした。

 

パソコン作業は問題ないのですが、字を書いているとほんの少し揺れます。

字を書くという作業は、物理的に大した力が必要とされるはずがないと思われるかも しれませんが、実際には、机に相当の力がかかっているようです。

ペン先を通じて力がかかるのではなく、机の上に置いた両腕を通して、力がかかるようです。

 

机の上のものが小さな音を立てるということがよくありました。

そういったことが妙に気になるのです。

 

ちょっとやそっとの力でゆすってもびくともしないような頑丈で重量感のある机、

かも80㎝×180㎝くらいある巨大な机がほしいと思って、あれこれ探し歩きました。

 

結局、机として作られたものは、大きさからも作りの堅牢さからも満足いくものが見つかりませんでした。

 

机でなければ、ダイニングテーブルになります。

しかし、ダイニングテーブルもやわなものが多く、力を入れてゆすってみると、たいてい揺れるんです。

 

しばらくして、大阪にある「トラック」という家具屋をネットで見つけました。

そこにあるダイニングテーブルは、サイズは先ほど書いたサイズで、板厚が5㎝、脚が10cm角のオーク材で、きわめてシンプルな作りのものでした。

見るからに頑丈で、しかも美しい。

最高に気に入りましたが、値段もとびきりでした。約35万円もしました。

いくらなんでも、机に投じる資金としては高すぎるような気がしました。

悩んでいても仕方がない、実物を見に行こう!と、神奈川県からはるばる大阪まで日帰りで行きました。

 

ぐっとつかまれました。

何度も撫でまわしているうちに、一層ほしくなりました。

これよりグレイドが落ちるものを買えば、きっと後から後悔するに違いないと思いました。

そして、机としては高いようでも、自動車に比べればはるかに安いということで、自分を納得させました。

自動車はせいぜい10年しかもちませんが、この机は一生ものだ、と。

 

あれから10年以上たちますが、シンプルで、頑丈で、美しいと思います

 

あまりに気に入って、このダイニングテーブルを皮切りに、数年に一度このトラックさんから家具を購入しています。

 

これはぜひ!すすめたい一冊!って

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本との出会いについて

このブログで、本のことを書いています。

 

このブログでは、

「この本好きです、おすすめです」

と書きますが、実生活では人に本をすすめることはありません。

 

「どんな本を読んでいますか?」

「おもしろいですか?」

 

程度の話はしますが、あまり深く立ち入らないようにしています。

話が熱くなってくると、お互いに「本を紹介しあう」という事態に陥ってしまうからです。

 

人にすすめられた本が、「読んでよかった」と思う本だったことって少なくないですか?

 

本を入手したものの、わずか数行で、「ちょっと趣味が違う」と思う。でも、次の日もその次の日も、本をすすめてくれた人が私の感想を待っているから、読まざるを得ないんです。

先方は先方で、こちらのおすすめ本を読んでくれている形跡もない…。

 

 

その点、ネットなら、私が「おすすめ」と書いても読まなくてもいいわけですから、こちらも気軽です。その逆もそうですね。

 

結局、本との出会いは自分でするしかないと思っています。

きっかけは人に教えてもらったとしてもです。

 

それと、私は「この一冊」!という読み方はしない方がいいと思っています。

興味がわくジャンルや分野に出会ったら、関連の本を数冊読んだ方がいいと思っています。

サイエンスなら関連本を、文学や小説なら同じ作家の作品を数冊、というようにです。

その中には、もちろん、「読まない方がよかった」という本もあるでしょう。つまらないとか、難しすぎる、とか。

ただ、興味がわいた分野や作家なら、何冊も読めばば、「なるほど!」という本があると思います。

だから、一冊、二冊、という読み方はおすすめしません。

本との出会いというものは、そういうものだと思っています。

在日 「血と骨(下)」梁石日

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在日を考える

 

まさに血と骨

周囲のすべてを破壊し、さらにそれを集めごりごりとすりつぶし飲み下し、

自らの血と骨にする金俊平。圧巻。

天才も好きだけど、こういうとんでもないのもいいですね。

とんでもない。この人。

そのあまりの狂気に引き込まれます。

国、民族、世代…人間は意識の中で自分の居場所をどう形作っているのか、

自分と違う誰かを位置づける座標軸をどこに置いているか、

再考するきっかけを与えてくれました。

 

慶応大教授の小熊さんらが、在日二世についてまとめた本を出版しました。

その本の中で、在日二世についてこのように述べています。

 

「在日の二世の幼少期は社会的境遇にあまり差がない。小さな朝鮮人の集落の中で貧しい生活をして、父親が博打をうって、酒を飲んで荒れて、母親がなんとか生活を工夫してという、そのパターンは皆同じです」

 

この「血と骨」の著者、梁石日は、在日二世です。

この作品に出てくる金俊平は、梁さんの父親がモデルと言われています。

この金俊平、まさに小熊さんの指摘通りの人です。

 

先の小熊さんの本によると、金俊平たちのような、いわゆる一世といわれる人たちは終戦後も、自ら希望して日本に残った方というとらわれ方をされています。

本書の金は、敗戦後の混乱の中、自らの蒲鉾工場を立ち上げ、大成功しました。

(その後、とんでもないことになりますが)

しかし、成功した人はごく一部で、

帰りたくても帰れない人たちも大勢いたと思います。

ちなみに、本作は山本周五郎受賞作です。