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没後20年 司馬遼太郎展「21世紀 未来の街角で」

 わくわくがとまらないぞ。

 今日、妻と横浜そごうに行きました。全く価値観の異なる二人、横浜についたら別行動が多く、数時間後に本屋で待ち合わせというパターンが多いです。今日もそのコースで待ち合わせ、横浜そごうで夕食用の弁当を買いました。そごうの出口に、そごう関係のちらしがあり、そこに、司馬遼太郎展開催を知りました。

 期間は、6月2日(金)~7月9日(日)まで。場所はそごう横浜店6階のそごう美術館。特別記念講演会が3回あります。日時と内容は、

 「担当編集者の見た司馬遼太郎

 日時:6月3日(土)午後2時から

 講師:村井重俊氏(週刊朝日編集委員

 

 「司馬文学にみる峠と横浜」

 日時:6月10日(土)午後2時から

 講師:増田恒男氏(司馬遼太郎記念館特別学芸員

 

「司馬文学にみる胡蝶の夢と横浜」

 日時:6月17日(土)午後2時から

 講師:増田恒男氏(司馬遼太郎記念館特別学芸員

 そのちらしを取ろうと手を伸ばすと、私より先に妻の手が伸びました。歴史に全く興味のない妻がどうした?と一瞬思いました。しかし、次の瞬間納得です。妻は、司馬遼太郎展のちらしの隣にあるちらしを手に取ったのです。

 感動をありがとう

 「愛されるヒロイン浅田真央」報道写真展

 会期:2017年5月6日(土)~5月10日(水)

 場所:そごう横浜店8階特設会場

 妻は、浅田選手が大好きです。私たち、全く趣味趣向が違います。その二人の好みが隣同士に置かれている状況に驚きました。私は、少し浅田選手に興味ありましたが、妻は司馬さんに全く興味がありません。

 私は一人でも行こうと思っています。どれにしようかな?編集者の話か、峠かな。事前申し込みが必要だそうです。

 

イチローも言ってるぞ!仕事は辛いんだ。

 「仕事は嫌なものなのだ」という持論をこのブログで展開しています。

yama-mikasa.hatenablog.com

  ところが、仕事にやりがいを求める人がいるのも事実でして…

yama-mikasa.hatenablog.com

 今日、コンビニで「会社に行きたくないと思った時に読む本~心が軽くなる言葉90~」という本を立ち読みしました。多くの名言がありました。紹介します。

仕事が楽しみならば人生は極楽。仕事が義務ならば人生は地獄。

 ロシアの作家、マクシム・ゴーリキーさんのお言葉です。やかましいっ!忘れましょう。知りません、あなたのことを。知りたくなかったこの言葉。

 次、行きましょう。

仕事なんて 辞めたいくらいが ちょうどいい

 小泉今日子さんのお言葉です。「仕事をやめたいって思ったことはありますか?」と聞かれて、「毎日です」と答えた後の名言です。いいぞ!キョンキョン、惚れ直したぞ! 

 最後です。

僕も、グラウンドに行きたくない日はたくさんあるのです。そのときには職業意識が出てきます。「仕事だからしょうがない」と、自分に言い聞かせるときもあるのです。

  みなさん、聞きましたか?見ましたか?読みましたか?これ、あのイチロー選手のお言葉ですよ。野球殿堂入り間違いなし、一年365日のうちの360日練習したという、あのイチロー選手のお言葉ですよ。

 ああ、気持ちが楽になる。ありがとう、イチロー選手。あなたのその正直な言葉は、あなたのスーパープレーと同じくらい、日本の多くのサラリーマンを救いましたよ。

なぜ、有吉さんやマツコさんは炎上しないのか?

 ネットで炎上する有名人が多いようです。古くは、テレビ番組「逃走中」で自首し賞金を手にしたドランクドラゴンの鈴木さん。最近は、不倫をすっぱ抜かれて政界進出を断念した乙武さんなどなど。

 しかしながら、世間には毒舌でありながらあまり炎上しない有名人もいます。たとえば、有吉さんやマツコさんです。なぜ彼らは炎上しないのでしょう。

 社会学者の古市さんはこう言っています。

彼らが炎上しない最大の理由は、「うらやましくない」からだ。

と。古市さんによると、有吉さんは猿岩石として一世を風靡した後、不遇の時代が長く、一時期は自殺を考えたことまである。また、マツコさんは、遅咲きのブレイクであることに加えてあの体形ゆえに、世の人が「うらやましい」と思わないのだろう、と。だから、炎上しないのではないか、と。

 そして、

 その意味でいえば、乙武さんの炎上は画期的です。あれほど嫉妬の対象になった障害者はこれまで聞いたことがありません。みんな、乙武さんがうらやましかったのかあ。

と述べます。

 ん、待てよ。ドランクの鈴木さんは「うらやましい」ですか?どうでしょう。私は彼のこと好きですが、うらやましくはないですね。同様に、有吉さんやマツコさんも好きですが、「うらやましくない」から炎上しないというのは違うと思います。

 有吉さんやマツコさんが炎上しないのは、「うらやましさ」ではなく、話術かな、と。「毒舌」を売りにしながらも、相手の怒りを笑いに変える見事な話術だと思います。

 彼らの発言に怒った相手も、会場が爆笑に包まれたらそれは結果的には成功であり、感謝こそすれ怒りにはならないでしょう。視聴者の中には怒っている人もいるかもしれません。しかし、有吉さんやマツコさんが毎日のようにテレビに出ている事実こそが、視聴者に彼らが受け入れられている証拠だと思います。

どこに点をうてばいいの?

 いつも文章を書くとき悩みます。どこに点をうったらいいのかな、と。うまい方法を調べてみましたが、決定打にかけます。

 近現代文学専攻の石原さんは、

点は文節ごとにうつものではなく、意味のまとまりごとにうつものだ。

と言います(『大学生のための論文執筆法』)。

 また、英文学専攻の外山さんは、「句読点には文法的なはたらきと修辞的なはたらきの二つがある。文法的とは論理と意味にかかわることであり、修辞的とは文章の調子にかかわるものである」とし、それぞれを例をあげて説明しています(『おしゃべりの思想』)。

 まず、文法的なはたらきについてです。

「彼は、涙を流して再開を喜ぶ友人の手をにぎった」

「彼は涙を流して、再開を喜ぶ友人の手をにぎった」

 ここでは、点の位置ひとつで、涙を流しているのが「彼」なのか「友人」なのか違ってきます。これはわかります。私も気をつけています。

 もう一つの修辞的なはたらきについてです。

「私は、朝、7時に起きて、8時に家を出た」

「私は朝7時に起きて、8時に家を出た」

 外山さんによれば、上より下の方がよかろうとのことです。

 石原さん、外山さんのお二人に共通するのは、句読点はとても難しいということと、多すぎるのも少なすぎるのもよくないが、多すぎる人の方が多いので(多いが多くてわかりづらいですね)、なるべく減らすようにしましょう、ということでした。

 『おしゃべりの思想』では、句読点に関する興味深いうんちくがありましたので、紹介します。

 日本語ではもともと、まともな文章には、テンやマルをつけなかった。毛筆で書く手紙にはいまでもつけないのが普通である。印刷された案内やあいさつ状も、筆で書いたと同じように改まったものなら、句読点をつけないでよいわけだ。つけない方が正式になる。

 なるほど。確かに竜馬の書簡などの毛筆のものに、句読点はありませんね。また、戦前までは、公式の表現でも句読点は使われていません。戦後、句読点が使われるようになりました。これも、私が言っているわけではなくて、外山さんが言ってることです。

 もう一つ、?なことがあります。会話文の最後のマルです。学校では、マルと「」は同じマスに入れる、と教わりました。

「おなかが減った。肉まんを食べよう。」

この。」です。これを原稿用紙の同じマスに入れろ、と習いました。しかし、しかしですよ、どの本を見ても、会話文の最後のマルがそもそもないのです。

「おなかが減った。肉まんを食べよう

となっているのです。わかりますか?マル、なくてもいいのかな?わかる方、教えてください。

「君が代」が国歌になるまで 

 内田樹さんの本で、このような記述を見ました(『日本辺境論』)。

 国家は儀礼上必要欠くべからざるものです。「君が代」の歌詞も古歌のうちからなかなかよいものを選択したと思っています。旋律についてはどうしてこんな旋律になったのか経緯を教えてもらえば、「なるほど、そういうものか」と納得します。

 問題は「国家としてはどのような歌が望ましいのか」という問いを日本国民が自分に向けていないということです。制定の過程で一度だけはそういう問いを立てたかもしれないけれど、そのような問いがありうることを一度限りできれいさっぱり忘れてしまった。そのような問いについて考え抜き~

 「どうして「君が代」が国歌になったのかをしっかり考えろ」と言います。「法律で決まっているから」ではだめだ、と。どこかで読んだぞ、と本棚を漁りました。ありました!

 その前に、ウィキで調べてみました。まとめると、

 歌詞は10世紀初めに編纂された『古今和歌集』の短歌の一つで、曲は1880年(明治13年)に付けられた。1999年(平成11年)に「国旗及び国家に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化された。

 とあります。詳しく見ると、

 『古今和歌集』中の1首で、冒頭に置かれたものが「君が代」の原歌である。

 江戸時代には、性を含意した「君が代は千代にやちよにさゞれ石の岩ほと成りて苔のむすまで」(「岩」が男性器、「ほと」が女性器を、「成りて」が性交を指す])に変形されて、おめでたい歌として使われた。

 おめでたい歌として、というところがいいですね。少しエッチな替え歌まで作られたとのことです。大奥でも歌われていたといいます。

 1869年(明治2年)に設立された(薩摩藩軍楽隊)の隊員に対しイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長フェントンが国歌を設けるべきと進言し、それを受けた薩摩藩軍楽隊隊員の依頼を、当時の薩摩藩歩兵隊長である大山弥助(後の大山巌日本陸軍元帥)が受け、大山の愛唱歌である薩摩琵琶の「蓬莱山」より歌詞が採用された。

 簡単に言うと、イギリス人に「国家はないの?」と聞かれた大山が、自分の好きなこの歌をすすめた、ということです。

 ところが、「本当は違う」と司馬さんが言っています。毎日新聞の夕刊に書いていたようです(昭和49年)。詳しくは「司馬遼太郎の考えたこと 4」に出ています。

 フェントンさんに聞かれたところまでは同じなのですが、「大山が受けた」というところが違う、と言います。

 司馬さんによると、フェントンは大山に言ったのではなく、接待役の「原田宗助」という人に言ったらしいです。

 彼はあわてて上司にきくべく、会議中であった藩の川村純義(すみよし)を呼び出すと、川村は急に怒り出し、

「歌ぐらいのことで相談するな、万事をまかすということでお前たちを接待役にしたのではないか」

と怒鳴って会議に戻ってしまった。

 川村はのちの海軍卿になった人です。大山出てきません。続けます。

 原田宗助は青くなっただろう。戻って同役に相談した。この同役が乙骨太郎乙(おつこつたろういつ)である。

 乙骨太郎乙、おつこつたろういつ、すごい名前です。すぐ覚えました。大山出てきません。続けます。

 乙骨は旧幕臣だけに大奥のしきたりを多少知っており、こういうのはどうか、と言い、歌詞を口ずさんでみた。原田は大いに驚き、「その歌詞ならわしの国の琵琶歌の中にもある」と賛成し、フェントンを呼び、原田自らそれを琵琶歌のふしでうたってみせた。フェントンはこの奇態なふしまわしに驚いたらしいが、手直しをした。

 原田が乙骨に聞き、それをフェントンに歌って聞かせ、フェントンが手直しして完成した、というのです。大山出てきません。

 司馬自身も、(ウィキにあるように)大山説が通説となっていると言っています。でも、モトのモトは前述の話らしい、と。原田と乙骨、なるほど。

 司馬さんは、この原田と乙骨説をあげ、この歌がきっちり作られたわけではなく、

・部下が上司に一喝されて生まれた歌であるところ

・もともと徳川大奥の儀式を乙骨が思い出して提案した歌なのに、「君が代起源説」の  通説は、徳川を倒した官軍の大山説となっているところ

 これが不思議で、暗示的だ、と言っています。そうですよね。百年後、大きな話題になり法律で定められることになるとは、大山さんはもちろん、原田さんも乙骨さんも予想していなかったことでしょう。

 ちなみに、冒頭の内田樹さんは、この歌の旋律については、「どうしてこんな旋律になったのか経緯を教えてもらえば、「なるほど、そういうものか」と納得します」と述べていますが、実際にフェントンに歌って聞かせた原田さんは、フェントンが作った君が代を聞いて「おれのうたったふしとはだいぶちがっている」と言ったとのこと。内田さんは、この旋律の経緯をどこで誰に聞いたのでしょう。

 私は情報に受け身でして、こういう話を読んでも、「乙骨太郎乙乙骨太郎乙」と念仏のように唱えて喜ぶ程度で終わります。このような情報を耳にしたとき、きっとクリエイティブな人は、「今は、何の疑問もなく普及しているけれど、その中には、将来その目的や方法が根本から問い返さざるをえないモノがあるのじゃないか」と考えるのでしょう。

 何だろうなあ、きっとこういうところにビジネスチャンスがあるのでしょうが、ちっとも思い浮かばない。情報には敏感なつもりですが、基本受け身的なところがだめです。ウィンドウズ95の時に、死ぬほど勉強してネットビジネスをものにできていればよかったのに。宅配業界の大改革、これはどうでしょう。だめか。

  

三島由紀夫の自決について、司馬遼太郎が思ったこと

 司馬遼太郎(1923 - 1996)と三島由紀夫(1925 - 1970)、ともに日本を代表する作家です。司馬は多くの歴史小説を通じて「国民作家」と言われるまでになった大作家であり、三島由紀夫ノーベル文学賞候補にもなった作家であり思想家です。

 同年代を生きた作家ですが、この二人はお互いをどのように意識していたのでしょうか。私は司馬作品をよく読みますが、その中には三島さんに関するものがいくつか見られます。また、三島さんの作品の中にも、司馬さんと同じ現象について語ったものが見られます。

yama-mikasa.hatenablog.com

 みなさんご存じのように、三島さんは衝撃的な事件を起こします。もちろんそのことを司馬さんもご存じだったと思いますが、その件についての司馬さんのコメントを読むことができずにいました。昨日、当然その記述に出会えたので、このブログに備忘録的に書き写しておきます。今回は、それのみです。『司馬遼太郎が考えたこと 5』です。長いので、ところどころ略します。

異常な三島事件に接してー文学論的なその死

 三島氏のさんさんたる死に接し、それがあまりになまなましいために、じつをいうと、こういう文章を書く気がおこらない。ただ、この死に接して、かれの死の薄汚れた模倣をする者が出るのではないかということをおそれ、ただそれだけの理由のために書く。

 三島さんの死をこころよく思っていないことがわかります。

 思想というものは、本来大虚構であることをわれわれは知るべきである。現実とかかわりがないというところに思想の栄光がある。

 ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方がつねにあり、とくに政治思想においてそれが濃厚で、たとえば吉田松陰がそれであった。

 松陰は、自分のゆきつくところが刑死であることを知り抜いてみずからの人生を極度に論理化し、彼自身が覚悟し予想していたがごとく、異常死へゆきついた。みずからの人生と肉体をもって純粋に思想を現実化させようとした思想家は、その純度の高さにおいて松陰以外の人を私は世界史に見出しにくい。

 われわれの日本史は松陰をもったことで、一種の充実があるが、しかしながらそういう類の精神は松陰ひとりでたくさんである。

 かれほど思想家としての結晶度の高い人でさえ、自殺によって自分の思想を完結しようとはおもっていなかった。

 私が松陰という極端な例をここに出したのは、むろん念頭に三島氏を置いてのことである。三島氏ほどの大きな文学者を、日本史は数少なくしか持っていないし、後世あるいは最大の存在とするかもしれない。

 三島さんの作家としての力量に対する最大の賞賛です。

 三島氏の死は、文学論のカテゴリーにのみとどめられるべきもので、太宰とおなじ系列の、ただ異常性がもっとも高いというだけの、そういう位置に確固として位置づけられるべきもので、松陰の死とは別系統にある。

 われわれ大衆は自衛隊員を含めて、きわめて健康であることに感謝したい。この政治論は大衆の政治感覚の前には見事に無力であった。このことは様々の不満があるとはいえ、日本社会の健康さと堅牢さをみごとにあらわすものであろう。

 この社会にはいろいろな問題があるけれど、何人も彼の演説に動かされることがなくてよかった、ということでしょう。

 こういう私の感想は三島氏の美学に対しては極めて無力であり、それが我々の偉大な文学遺産であることを少しも損なうものではない。我々はおそらく二度と出ないかもしれない文学者、三島由紀夫を、このような精神と行動の異常なアクロバットのために突如失ってしまったという悲しみにどう耐えていいのであろう。

 私には、三島さんの死を司馬さんが太宰と同系統の死と捉えていたとは思えないのです。知行一致の精神を、誰よりも高く司馬さんは評価していたはずですから(もちろんその作品の中においてです)。このコメントを読み、今、非常に複雑な思いです。

誰でも書ける!読書感想文の書き方

 読書感想文が嫌いでした。本を読むのは好きなので、夏休みに入る前には毎年読み終わっていたのですが、夏休み最終日になっても、原稿用紙は白いまま。毎年でした。

 あれから30年たちましたが、世の中には読書感想文という悪習がいまだに残っていて、私の息子も当時の私と同じ状況に陥っています。と言っても、彼は本も読まずに夏休み最終日、白い原稿用紙の前に座っているので、私とは少し違いますが。

 小学生に読書感想文を強制することは、百害あって一利なし、と私は思います。読むのと書くのは別ですからね。「本好きにしたい、本を読ませたい、読書感想文を宿題にしたら、読まざるを得ないだろう」こういう発想でしょうが、これでは、読書感想文から解放されたら本を手に取ることはなくなると思います。

 とにかく、読んでいない息子に読書感想文を書かせるためにはどうしたらいいか。二人でネットで「楽に感想文が書ける方法」を検索しました。すると、私たちのように、読書感想文に困っている人がたくさんいることを知りました。出てくる出てくる、たくさん出てきます。

 今日は、その中でも一番だったものを紹介します。あきれるほどに素晴らしいです。

 『必ず書ける あなうめ読書感想文』

 小学生向けであるこの本は、そのタイトルのとおり、空欄に適当な言葉を入れて感想文を完成させるという、とんでもないシロモノです。

 こんな感じです。

(①     )を読んで

(②     )は、なんて

(③                              )

だろう。これが、読み終えたときに、最初に感じたことです。まさか、

(④                              ) 

とは思ってもいませんでした。

 基本的に、こんな感じです。最初の空欄①には本の名前を入れます。「うさぎとかめ」を例にしています。

 次の空欄②には、登場人物を入れます。「うさぎ」とします。

 三番目の空欄⓷には、②の人物について思ったことを書きます。例としては「ばかなことをしてしまった」と書きます。

 四番目の空欄④には、②の人物がした行動を書きます。「競走の途中で寝てしまう」という感じです。

 ここまでをまとめると、こういう感じになります。

 

『うさぎとかめ』を読んで

「うさぎは、なんてばかなことをしてしまったんだろう」

 これが、読み終えたときに、最初に感じたことです。まさか、競走の途中で寝てしまうとは思ってもいませんでした。

 

 なるほど、上々の滑り出しです。

この方法にしたがえばいくらでも書ける、として

「(ももたろう)は、なんて「ゆうかん」なんだろう」

「(メロス)は、なんて「ともだち思い」なんだろう」

「(アリババ)は、なんて「運がいい」んだろう」

このような応用例を上げています。

 この監修者は、なんて恐ろしい方法を思いついてしまったのでしょう。この方、教師のようです。まさか、現場の教師が、空欄を埋めるだけで感想文が書けるなどという安易な方法を推奨するとは、思ってもいませんでした。

 こういう穴埋めになれてしまった小学生が、中、高、大学と進むかと思うと、恐ろしくなります。こういったパターンを使って、目前に迫った課題をとりあえず提出する。その時は便利でしょうが、あとで困ることになるのでは?

 少なくとも、これでは自分の文体が形成されません。パターンになれてしまうと、それを訂正することが難しくなります。「大人になったら自分で書けるようになるだろう」と考えるのは大間違いです。借り物の文体で、生涯下手でワンパターンな文章を書いていくことになりかねません。

 しかし、背に腹は代えられません。結局私たち二人は、この方法を採用し感想文を書き上げることができました。文句を言うなら使うな、と怒られそうです。